まだ学校も始まったばかりで時間があるので、週末は市内を観光したり、
チャイナタウンへ行ったり、と余暇を楽しんでいますが、
日本ではなかなか時間がなかった読書も楽しんでいます。
昨年末あたりに購入したエーリッヒ・フロムの
『愛するということ』をちょうど読破したので、
なるほど、と思った節と感想を記録したいなと。
早くも遠恋難しいなー、、と思い始めていた時だったので、
読み終えて、改めて頑張って続けて行こうという勇気が湧いてきました。
フロムはこの本で、異性愛、母性愛、父権的愛、兄弟愛、友情愛など、様々な愛について多角的、客観的、かつ多くの歴史的哲学者が述べてきた愛についての見解を紹介しながら分析をし、最終章で『愛の習練』について述べています。
また、愛に関連して、ナルシズム、セックス、人生、生産性、宗教、家族などにも触れているので、かなり考えさせられ、読み応えのある本でした。
フロムは、『愛は意志のある行為である』と繰り返しています。
この節は非常に納得。自分が家族、友達、恋人に対する愛情、それに伴う行為にも強い意志があるように思う時が度々あるからです。
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誰かを愛するというのはたんなる激しい感情ではない。それは決意であり、決断であり、約束である。もし愛がたんなる感情にすぎないとしたら、「あなたを永遠に愛します」という約束はなんの根拠も持たないことになる。感情は生まれ、また消えて行く。もし自分の行為が決意と決断にもとづいていなかったら、私の愛は永遠だなどと、どうして言い切ることが出来よう。
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結婚を考えられる相手のことは、一時的な感情ではないということですね。
決意、決断、意志にもとづいた行為であると認識すれば、
些細な喧嘩や衝突も乗り越えられるような気がします。
激しく同意できる部分が多い一方で、21世紀に入り、ようやく多様な愛の形があることが世界的に認められているなか、異性愛についての伝統的な考え方や、母親、父親のそれぞれの愛情のあり方については少し偏りがあるような感じがして、個人的には部分的に同意できない/違和感を感じるところが少しありました。
とはいえ、最終章では自分自身でも常々感じている自分の課題や学びが多々綴られています。
例えば、愛することを習得する為に必要ないくつかの条件の中で『客観的であること』を述べています。つい気分が滅入ってしまった時、何かに屈しそうになってしまった時にその気分を助長するのではなく、『何が起きたんだろう』、『なぜ不安なのか、憂鬱なのか、イライラするのか』を自問し、客観的に捉えることで、自分で造り上げた欲望や恐怖のイメージから切り離すことが可能であると述べています。
この点に関しては、私は特に些細なことで不安になったり、イライラしてしまったり、悲観的にマイナス思考になりがちなので、なるほどな〜と思いました。
特に遠距離中は相手に直接触れることができないので、メールの返信が遅いとか、いつもより素っ気ない気がするとか、電話越しでの声のトーンとかで一喜一憂してしまいます。これらのファクトは客観的であると言えるかもしれませんが、結局は自分の負の感情が造り上げたイメージである、という意味合いが強いような気がします。
そして最も共感したのが、『愛の技術の習練には「信じる」ことの習練が必要なのである』という部分。
ずいぶん前から私自身の課題であった「信じる」ということ。
家族、兄弟、友達との間の愛情には一遍の疑いもなく自分の、彼らの愛を信じることができるのに、恋人との関係になると必ずその愛に自信がなくなって、信じることが難しくなってしまいます。
『目に見えないものを信じる者は幸いである。その者は救われる。』と聖書にありますが、言うは易し行うは難し、です。
いくら強い意志に基づいた愛情だとしても、なぜか自信がなくなってしまう。
つまりは自分に自信がないせいだと思ったこともあります。
今に於いては、相手の愛を信じることが私の最大のチャレンジであり、乗り越えなければならない試練であり、課題だと認識しています。
この課題を超えられた時、自分は人を愛することの大きな1つのステップを踏むことができるようになったと思えるのです。
この課題を超えられた時、自分は人を愛することの大きな1つのステップを踏むことができるようになったと思えるのです。
遠恋中なので、どうしたら相手の愛を信じ続けられるのか、暗中模索だったのですが、ここで1つの大きなヒントがありました。
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理にかなった信念とは、自分自身の志向や感情の経験にもとづいた確信である。それは、何かをやみくもに信じることではなく、私たちが確信を抱くときに生まれる確かさと手ごたえのことなのだ。
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なるほどなと。
つまり、恋人と一緒にいるときに確かに感じた、『私は愛されている』という安心感と確信、離れていても確かに感じる彼の優しさと愛情は、信じるに値する理にかなった信念となりえるということ。
自分は臆病者なのか、頭でっかちなのか、たぶん両方なんだろうけど、
『理にかなっている』と納得した瞬間、信じることが一気に現実的になってきました。
それがUnconditional とならなければいけないとは思うけども、徐々にということで。。
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他人を「信じる」ということは、その人の根本的な態度や人格の中心部分や愛が、信頼に値し、変化しないものだと確信することである。
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他人を「信じる」ということは、その人の根本的な態度や人格の中心部分や愛が、信頼に値し、変化しないものだと確信することである。
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境遇がどんなに変わろうとも、また意見や感情が多少変わろうとも、その芯は生涯を通じて消えることなく、変わることもない。
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その通りだと強く共感した瞬間、自分がもっとも課題に感じていた相手の愛情を信じるということに勇気が持て、自分の心に余裕が生まれ、同時にひとまわり強くなれたような気がしました。
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